2013年8月26日月曜日

パリパリのあれ


ホワイトタイガー舎の前でバラ売りしたら夏は売れると思うんだけど
どうでしょう、東武動物公園さん。

2013年8月9日金曜日

フジモトとトキさん




風立ちぬの感想を書いたところで、ふとポニョでも言いたい事があったのを思い出しました。
なので今更ですが、ポニョについてちょっと書いてみます。


ポニョをみたとき、なんだかわからないもやもや感が残りました。
なにか一つ、大事な情報が抜け落ちてるようなもやもやです。
特にトキさんと、フジモトあたりに…もやもや…

なんて考えていたら、
エンディング曲が終わる頃にふと一つの答えにたどりつきました。



フジモトとトキさんって、親子なんじゃない?


そう考えると顔も似てます。鼻なんかそっくり。



すると溜まってたもやもやが全部一気に、将棋倒しみたいにパタパタ解消されていきました。
それがとても爽快で、なんだこの映画、すっごい面白い!って気持ちにさせられてしまいました。
その時私の頭の中で起こった将棋倒しのパタパタを、かいつまんで説明します。


宗介とポニョが出会うずっと前、この町ではもう一つの物語があったんです。
それがフジモトと、グランマンマーレの話。
かつてフジモトとグランマンマーレが、宗介とポニョみたいな関係になった時、
グランマンマーレが人間になるのではなく、フジモトが海に入る決断をしたんです。

トキさんは大事な息子を海にとられてしまいます。
当然、その時も津波が起こります。


この「一つ前の物語」を踏まえてポニョのお話をみてみると、色んな辻褄が合うんです。


トキさんは冒頭でポニョにいじわるな態度をとり、
津波が起こると予言し、
津波のあと一人高台に残って宗介を助けよう試み、
ラストで宗介の無事を泣いて喜びます。

トキさんは宗介に自分の息子を重ねていたんです。


かつてトキさんはフジモトの恋に反対したと思われます。
好きな人と一緒になる事を祝福して貰えなかったフジモトは
「認めて欲しかった人に認めて貰えなかったので、自分も相手を認めてやらない」と
拗ねた状態のまま、かけおち同然で海に入ってしまいます。

フジモトは冒頭で人間を毛嫌いするような発言をしますが、
ラストは世界のほころびを閉じるために必死でポニョを人間にしようとします。

本音は人間を嫌っている訳ではないんです。拗ねていただけ。
ひまわりの人達に「宗介くんを応援してください」と頼むのも、
祝福して貰えなかった自分と宗介を重ねているんじゃないでしょうか。




つまりこのお話は、ポニョと宗介の可愛らしい恋物語の裏側で
フジモトとトキさんが救われる話なんです。




魚のポニョが人間の姿で会いにきた時、宗介はともかく
大人のリサもあっさりとポニョを信じ、受け入れます。
これはトキさんから何か聞いていたと考えれば納得できます。
津波が収まった後、宗介とポニョをおいて一人でひまわりに向かったのも
これからどうするべきか、トキさんの所へ先人のアドバイスを聞きにいったんじゃないでしょうか。

町が海に沈んでしまっても、町の人は皆平気そうな顔をしています。
「一つ前の物語」の津波で、対策や訓練ができていたと考えられます。




この映画のすごいところは、きちんと「ひっかかり」を作ってる所だと思います。
フジモトはかつて人間だった事を映画の中で明言しているのに、なぜ海に入ったかは触れません。
宗介とポニョが晴れてむすばれた時、宗介を抱きしめ、彼の無事を泣いて喜ぶのはトキさんです。
普通に考えれば、そこは母親であるリサの役割のはずです。
こういう細かい「ひっかかり」をちりばめて、気になるように作ってある。
そしてそれが解けると爽快な気持ちになるし、
トキさんとフジモトが顔を合わせるシーンではドキドキします。
「あー、ほんとはお互いに何か言いたい事あるんじゃないの!?」ってなります。



最後、フジモトが海へ帰るシーンは描かれていません。
帰る前にトキさんの所へ行って、二人が和解してたらいいなぁ。

2013年8月7日水曜日

風立ちぬと帽子


風立ちぬ、みてきました。面白かったです。

二郎が飛行機の事を考えてる時の没頭感、わくわく感は
なにかモノを作るのが好きな人なら「わかるわかる!」ってなる楽しさ。

見た後すぐ誰かに話したくなるような事はいっぱいあるんですが
中でも帽子の使い方が面白かったので、ちょっとそれについて書いてみます。




この映画で、帽子は三人目の主役と言ってもいいくらい目につきます。
ずっと風にはためいてるので、飛ばされないかハラハラしますし
飛ばされると、見てる私は「あっ!帽子!」ってなって気になります。
ダメ押しで、セリフでもちょくちょく触れてきます。


二郎と菜穂子が初めて会った列車の中で、お絹が
「お嬢様、帽子が飛びますよ」

二郎が初めて出社したとき、上司の黒川さんが二郎をデスクに案内しながら
「帽子はここ」



これは私の解釈ですが、帽子はその人の「いるべき場所」を示してるんだと思います。

カプローニさんと会ってる夢の中に、二郎は帽子を持っていきません。
持っていってもすぐ飛ばされて、二郎の頭にありません。
二郎がいるべきは現実の世界で、夢の世界(死後の世界と繋がってる)ではないから。

黒川さんが帽子の場所を指定したのは、ここが二郎の席で、これからずっと居る場所だから。
二郎は言われた後すぐ、指定の場所に帽子を掛け、デスクに座って仕事を始めます。



菜穂子がスリリングに二郎の帽子をキャッチしてくれた時、二郎と菜穂子には繋がりができますが
その後すぐ、怪我をしたお絹のために菜穂子の家へ人を呼びに向かう途中、
二郎の帽子は風で飛ばされてしまいます。一度はキャッチしてくれた帽子だったのに。
せっかく立ったフラグが折れた瞬間です。
これは二人がまだ一緒になる時じゃない、って事だと思います。


…という事は、お絹にまだチャンスがあるのか、
それとも菜穂子がもう一回、改めて帽子をキャッチしてくれるのか。


なんてわくわく見守ってたら、軽井沢で菜穂子と再会した時
二郎が菜穂子の帽子をキャッチして、二郎の頭に乗せました。
つまり二郎の居場所が菜穂子の所なのではなく、菜穂子の居場所が二郎の所だったんです。
ここはシビれどころでした。菜穂子の帽子をキャッチするに至る前に、二人の間を取り持ったのが
紙飛行機なのもいい。




「風立ちぬ」の意味は、もうシンプルに「生きろ」だと私は解釈してます。

「風が立つ。生きようと試みなければならない。」

カプローニさんは常々「風はまだ吹いているか?」と尋ねます。
風が吹くということは、時間が止まってないということ。
つまり生きてる、ということ。

最後の夢の中、菜穂子が待っていてくれても、二郎は帽子を持って行きません。
奥さんが死ぬ事をわかっていて一緒になって、
自分の作った飛行機がたくさん人を殺す事になるのを知ってて作って、
そりゃ死にたくなる事もあるだろうと思います。

でも二郎はまだ死にません。
帽子を持って行きませんでしたから。





というのが私の帽子の解釈なんですが…
他にも意味があるのかもしれません。なにせ帽子は、絶対に何か意図を持った描かれ方をしています。
もう一回見る方はぜひぜひ帽子に注目して、その意味を考えて、
これとは違う解釈が思いついたら教えていただけると私が楽しいです。